ニコタマ製作所。日誌

東京は二子玉川に住んで20年。お仕事と子育てをなんとか回している、庶民派主婦です。

『北斎娘 応為栄女集』を読む

 

娘が、学校の図書館からこの本を借りてきてくれました。

 

『北斎娘 応為栄女集』(藝華書院)

北斎娘・応為栄女集

北斎娘・応為栄女集

 

 

印刷があまりよくないとはいえ、その繊細さ、大胆さ、緻密さ、美しさ……
北斎の娘・応為が、父・葛飾北斎とともに居所を転々とし、ホームレス然とした暮らしの中でこれほど繊細可憐な絵を描いていたと思うと、なんだか泣きたくなるような気持ちになります。


この本のアマゾンレビューに、

「北斎の娘もまた天才、その画才は北斎以上だと言わざる得ません」

と書いている方がいますが、私もそう思います。
「美人画ではお栄(応為)にかなわない」と北斎は言ったと言いますが、美人画だけではないでしょう。

 

 

この本で、図録には残っているけれど、現在は所在不明になっている絵がたくさんあることを初めて知りました。

 

こんなに可愛らしい「蝶々二美人図」も……。

 

昭和38年に講談社から刊行された図録に写真だけは残っているけれど、現在はどこに行ったのか不明とのこと。

いつか、ひょっこり出てくることがあるのでしょうか。

 

北斎の絶筆と言われる、有名な「富士越龍図」も、実際は応為が描いたのではないかと、本書の著者は推察しています。

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偉大なる父・北斎が90歳で亡くなったとき、応為は悲嘆やる方なく、座っていることすらできなかった、と書いている、昭和11年に書かれた小論が全文掲載されています。

互いを天才と認め合った、互いに「画狂」の父と娘。世界でもなかなか類を見ない親子関係ではないでしょうか。

 

北斎亡き後、晩年の応為は、親戚の家に身を寄せて絵を描いて暮らしたとNHK『歴史秘話ヒストリア』では描かれていたと思いますが、諸説あり、あるときふと行方知れずになったとも言われているそうです。

ある人に絵を頼まれ、絵筆をふところに入れて出て行ったまま、行方がわからなくなったとか……。

 

 

残された作品も情報も少なく、求めても求めてもよくわからない天才女絵師・葛飾応為。

絶対に満足できないがゆえに、お栄さんにますます魅かれてしまうのでした。

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お栄(左)と北斎(右)

 

以前、こちらの記事も書きました。

 

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